新年のご挨拶(2013年)
新年、あけまして、おめでとうございます。
まず、不義理へのお詫びから、述べさせてください。
今年も、年賀状について不義理しております非礼をお許しください。
お年賀をいただくもののお返しできていないことについてとても心苦しく思っております。礼節を大切にするという姿勢には以前と何ら変わりはないのですが、2011年4月以降、儀礼的なものに対しては冠婚葬祭をのぞきほとんど廃止し、その分の経済的資源を沿岸部の支援活動に向けて集中的に費やすようにしております。何卒ご高配賜りますよう、伏してお願い申し上げます。
また、仙台で入会していた地域産業団体等からも、殆どすべて退会させていただきました。会員の皆様に退会のご挨拶もできておりませんで、その非礼をこの場を借りてお詫び申し上げます。
これにつきましても、先述と同じ思想の元に、経済的な資源、及び、時間的資源を、沿岸部の支援活動にむけて集中させるべく、このような形を取らせていただきました。ですが、各組織・団体の持つ理念-地域産業や経済の発展や、それを通じたより良い市民生活の実現-については、私も依然と全く変わらず、同じ方向の志しに向かってまい進しております。活動組織やその展開の仕方は違えど、地域の皆が描く未来にむけて歩み続けていく中で、その軌道はいずれまた交わるものと信じております。
さて、2013年ですが、今年は、東日本大震災から、1000日目を師走に迎えます。正確には2013年12月5日です。
日本中が国難として取り組んだ結果として1000日後にはどこまでの復興(あるいはせめて復旧)が見られたか、を、今年の年末は振り返る瞬間が来るでしょう。沿岸部の支援にあたる活動の現状に触れるにつれ、人々の復興へのそのひたむきな姿勢に、言葉にできない思いで、ひたすら心の中で頭の下がる思いでおります。
一方で、人間は脳の正常な機能として「忘却」というものがあり、現地との接触機会のない・少ない、ところでは、震災は過去のものになっているのを実感します。気になりつつも、日々の仕事にまい進することに皆が専念する。それも人間の織り成す社会の一つの側面であろうと思います。皆が喪に服した2011年の4月は、経済が停滞しました。皆が景気よく消費し経済を回すことは経済的な発展において大事なことでもあります。
そんな中、1000日目、として、にわかに、閖上の更地の街、南三陸や陸前高田、あるいは、東京電力の原発、に光が当たり、遅々として進まぬ現状を目にすることになるでしょう。(もちろん、今年の間に、急ピッチでもっと良くなる可能性がゼロではないですし、できればもっと良くなってほしいです。)
この状況に対しては、個々人としては、無理のない範囲で「ずっと、長く、続けられる」ような助力の仕方をして、何十年も行くしかない、少なくとも震災遺児孤児の殆どが成人するまでの20年ぐらいは、とにかく、長く続けられるようなスタイルで、石ころだらけの道でも行くしかない、と思っております。
政府、自治体、公的機関、いろんなレイヤーの組織とご縁があって話しますが、全力で取り組んでくださっている所、そうではないところ、難しい調整と財政の中で頑張れたりそうでなかったり、といろんな対応がまだらに混ざっています。無限資金があるわけでもないので、完璧なことというのは難しいところでしょうから、可能性を紡ぎだして、皆でよりよい社会を作っていけるように、公も民も協力して進んでいけたらと願っています。
東日本大震災の話は、ライフワークとして取り組んでゆきますが、新年のご挨拶として語るには長くなりすぎましたので、次の話に進みます。
今後の10年で、日本、特に、世界の中における日本、が迎えていく大きな変化は次の三つの特徴がある、と、私は見ています。
1.言葉の壁が低くなる
2.距離の壁が低くなる
3.時間の壁が低くなる
一つ目「言葉の壁が低くなる」は、言語翻訳機能の性能の飛躍的な発展に依拠するものです。
既に2013年の年頭でもテレビCMで、ドコモなどがスマフォが翻訳してくれる姿を描き出していますが、技術的には一年ぐらい前からそうしたアプリはありました。私も韓国でのワークショップ中、韓国語にスマフォで翻訳してみました。単語レベルであれば、そこそこ、当時でも通りました。この技術は利用データの蓄積が進むと加速度的によくなるでしょう。この10年で、耳かけ式か、データメガネ式の、マイクとイヤホン&翻訳チップ、という形になるでしょう。
これは、今まで言語的に隔離されていた「1億人市場」と「70億人市場」が大きな一つのたらい桶の中で敷居を外したような、拡散流入が起こっていく10年を経験することを意味します。チャンスと疲弊の二つが生じます。
日本の伝統産業が持つコンテンツ性が、反物のような物質だけでなく、文化やサービスという範疇まで含め、言語的な問題なしに提供ができるようになります。1億人市場ではぎりぎりだった伝統産業が、70億、あるいは、そのうちの10%で7億とみても、7億人市場で仕事ができるようになると、潜在的な市場は単純に8倍ぐらいになり、食えるようになる所が出てくるでしょう。
一方で、日本語ユーザだからできていた仕事、というのは、どんどん競争相手が出現するわけで、すっかり日本人が減ってしまう仕事もあるかもしれません。意外と講師業や講演事業、本の執筆、メディアのライター、といったところも、賃金は同等であってもよりよいものが提供できる人がいれば、彼ら彼女らとのしのぎの削り合いに。
また、国内コンテンツが外国に出ると同時に、外国のカルチャー込みでコンテンツが入ってきます。若い人は、流動性知能が高く対応しますが、年配の方は、知能の中でも結晶性知能は高いものの流動性の部分は一般に低下していきますので、外国のカルチャーが空間を満たすようになることで抱えるストレスはあるかもしれません。
二つ目「距離の壁が低くなる」は、出現期から発展期、そして熟成初期へと入っていく3Dプリンターに依拠するものです。
2012年末、Makersなど、3Dプリンターで誰もが「なんでも願いどおりに形を出現させる機械」で作り手になる、というムードを醸成しつつありますが、日本人は冷静です。安いものではそれなりのものしか出ないし、高精度の高額装置はそれなりに、技術がいる、それに作れるものは、樹脂もので射出成型ものの1/3ぐらいの強度であることなどから、誰でもメーカー、というのは、盛り過ぎだ、と。しかし、過去を振り返ると分かります。二次元のプリンターは当初は荒いものでしたが、今ではプリンタの品質がどんどん向上し、自宅で写真を出力してしまえる時代になっています。3Dプリンターも、多分、ミシンがたどったような製品発展の熟成プロセスで、この10年でよいものになるのではないかと思います。
そうなると、距離の壁が低くなります。すこし余談からですが、100年前の人々が100年後(今の時代)を予想した時に、半分ぐらいはかなりあたっていて、半分ぐらいは全然あたっていませんでした。あたっている部分は、物体の移動を伴わずに済むものでした。顔を見ながら何百キロも離れた人同士が会話できる、とか、そうしたデジタルでかなえられるものはかなりその予想通りの進化をしています。一方で「東京でこのダッシュシュートに入れると15分後に大阪の出口から出る」というものや「個人の移動はパーソナルヘリになっている」というものは、全く外れています。人間の予想よりも、物質の移動が伴うものは進化が遅いのです。
ここを、3Dプリンターは超えさせるでしょう。村の真ん中に、3Dプリンターセンターがあり、情報端末でオーダーすると、そのセンターに歩いて取りに行く15分の間に出力しておいてくれる、そんな時代になるでしょう。物流は、部材のペレットを運ぶ仕事に。ある程度の時代になると、ウッドボディーやスチールピースも出力してくれるでしょう。今はちょっと考えにくいですが、ギターぐらいなら、買うとプリンターで出力できる、ようになるかもしれません。
もちろん、全てが3Dプリンターで出る、というわけではないでしょう。食べものや、人間が直接触れるようなものは、10年では、現在の形を維持していると思われます。
三つ目「時間の壁が低くなる」は、ショートタイム・ワークスタイルの出現・台頭です。
この辺は人に依る話なのですが、ある種の人に取り、労働というのは”喜び”でもあります。”何か生産的なことをしたい――。””社会の一員として仕事という場に参加を続けたい――。”という潜在的な欲求を持っています。
しかし、フルタイムの勤め人のような働き方ができない人材もこの国にはたくさんいます。子育て中で一日不定期に90分だけ働きたい、とか、体力の面でフルタイムはきびしいので午前中の時間だけ働きたい、とか、そういった方の「細切れな労働資源」を活用できるような事業者がいずれ出現してきます。
旧来的な「生産人口」で定義した年齢幅の人だけを労働力として設計した制度では、労働資源が足りません。人間ができることのうち、ロボットの代替えがなされて、人間はより人間しかできないことに労働内容がシフトしていきます。それは、より、感性的な事、だったり、アーティスティックな事だったり、創造的に選択肢を作り出すことだったり。そういう労働内容だと、こまぎれて一日90分を提供する、という人でも、その時間の中でなら十分な労働資源を提供することができるでしょう。
また、年収は低いあるいはないけれど、国としての納税を免除する分「役務で納める」というスタイルが出てくるかもしれません。市民税の課税額をゼロにする代わりに、市民環境づくり仕事に3日間の役務を提供する。(納税なので、報酬なし)。そうなってくると、やはり、フルタイムでの仕事ができない人にできるような労働スタイルを作ることがもとめられるでしょう。
以上、3つの変化を述べました。
これらに照らしてみると我々が直近の未来で吹く風の向きが感じられます。これから起こる長くて大きな変化、そこには、創造力が必要な局面が、いくつもあります。そこに向かって、アイデアプラントの製品やワークショップを今年も精いっぱい、開発し、提供していきたいと思います。
今年も、どうぞよろしくお願いします。