紙資源vs認知資源、犠牲にすべきは。
今日は気持ちのいい晩秋の陽射しでした。足元の落ち葉かさこそ秋晴れの道。
どこにいようと毎日、仕事は昼も夜も追いかけてくるわけですが、今夜はマーカー片手に、17ページの対談原稿をチェックする作業をしています。
私は、この一年ぐらいで、チェック原稿を画面で見るのをやめ可能な限り紙に印刷してチェックするスタイルに変えました。
プリントアウトは、大事な資源が短時間で無駄になるので、とにかく避ける方針でした。いまでも、紙でもらわずに、データでもらえる方が、旅の道中の荷物にならず、紛失リスクも低いので、歓迎ではあります。
が、しかし、長いワード文章につづられた原稿や、細かい文字のびっしり入ったエクセルとなると話は別です。一度紙に打ち出し、精読します。
どうも紙で読む方が、誤字や変な文章構造に気が付く「違和感センサー」がよく働くようです。また、行間を読む、という静かな心理状態も稼働させやすいようです。
その結果、原稿チェックのクオリティが高くなります。
紙面を見ているときは、画面を見ている時よりも、認知資源(※1)がだいぶ節約できるようである。・・・と自分自身の経験から気が付きました。
もしかしたら、そういう切り口のまじめな研究はすでにあるかもしれません。ここに記したことは、この時点では、N=1(私石井)の事例によるものであり、一般化できるかどうかは何とも言えない、というのが正しいスタンスです。
紙のほうが、文章という記号列を概念へ投影する力が強いのはなぜか、は、よくわかりません。(思い浮かぶ仮説はいくつかありますが。)
自分自身にだけ適応できるテクニックを持つことは、人生を豊かにすることだ。–と、私は思いますので、ちょっとブログにしたためてみました。
ちなみに、援用的なことをもう一つ。
自分がしたデザインを紙に出力して、3メートルぐらい離れた場所から見てみると、デザインの印象がよくわかります。
これもやっぱり、紙、なんですよね。PC画面上で縮小してみる、ということも似た感じのことではありますが、どこか違うみたいで、印象センサーがよく働くのは「紙に出力、3メートル向うに立ってみる」方式なんです。
※1: 認知資源、という言葉は、認知心理学などで使う言葉です。我々の認知処理の量には上限があり、いろんな機能を稼働させていれば当然目の前のタスクに振り分けられる認知処理能力は少なくなります。認知処理の有限量であることを色濃くとらえ、認知資源という表現がなされています。