足を踏み出した瞬間に理解したこと。
先日、旧岩崎邸庭園(三菱財閥の創始者、岩崎家の明治期の屋敷。非常に洗練された洋館と和館からなる。)を見学したときのことです。階段のつくりがとてもきれいで何枚も写真を撮って、上まで上ってテラスからの景色も眺めて回り、降りるときに、あることに気がつきました。階段の踊り場の絨毯が、濡れ染みのように汚くみえる部分がありました。雨が吹き込んで、ぬれた?と不思議におもいながらも、汚れているように見えた部分に足を下ろさずには進めないので、そっと足を踏み出しました。そして、一歩足を踊り場についた瞬間に、はっと全て理解しました。絨毯はぬれていません。それは、上ってくる人と降りてくる人が最初に一歩踏み出す足の摩擦で絨毯がエリアによって異なる方向に寝ているために、濡れ染みの境界線のような模様がそこにできたのでした。
ぬれているように見えた模様のちょうど出っ張っている部分の真ん中に自分の足がついたその瞬間に、さまざまなことを体が感じました。まず、足の下の絨毯が踏み出す方向にねていること。90度におれる踊り場を歩くときに、少し減速して、あしをまわしこみながらすすむと、自然と足を下ろす場所がきめられてくること。のぼりのときには気がつかなかったけれど、のぼり側の染みのような出っ張り部分は、上るときにやはりつくもの(実際にもう一度下から上ってみたら、やはりぴったりその位置に足が着ました)。
こうして、踏み出した一歩、それから、お?あ!じゃあ・・・、なるほど。という気持ちの変化が3秒くらいで起きました。
お?(不思議だな、ちょうど足が自然とそこの部分にきたぞ)
あ!(そうだ、さらに次の一歩を考えると、必然的にここに足が下りるんだ)
じゃあ・・・(ということは上り側にも同じことが言えるのか?)
なるほど。(やはり、のぼり側の位置関係でも同じことがおきるようだ)
すこし固めの表現で言うと、「認知→発見→仮説→検証」をした瞬間でした。
このことはとても貴重な示唆があるとおもいます。してみるとわかることがあるんだ、ということ。それも「わかりそうだからしてみる」という事前の予兆が全く無い事柄でもそれはおきるし、わかり方も、圧倒的に「ほぼそうだ!」という確信に近いことがえられることも。
必ずしも、やってみればいいとは言えませんが、現場にいってみると気がつくことが結構ある、ということをあらためて認識した経験でした。事業において、さして競争上の強みがなくても好きだからやってみた起業家が、そこで得た経験を元に、もっと上の事業へと展開して、いつしか、業界の有数の事業になることもあります。好きこそモノの上手なれ、という言い方もありますが、私はそういうことに対していつもこうおもいます。「動いてみる・始めて見ると、とりえる選択肢が変わる」と。あるいは言い換えると、戦略上の新しい選択肢が、実際にやってみた人には現れる。と。