アイデアメーション、最初に考えつくことはみな同じ。
創造性は多様?それとも、人間の思いつくことは大体同じ?
このことはずっと私の中で疑問であり、整合性の無い(矛盾する)基本特性として不思議におもっていました。人間の発想力はすばらしいのか、それとも、ありきたりなものなのか。
これを『スウェーデン式アイデア・ブック』をみることで統合的に理解できるようになりました。この本では、「最初に考え付くことはみな同じ」といっています。これを、アイデアとは区別して”アイデアメーション”(アイデア+インフォメーション)と呼んでいます。はじめにぽろぽろと思いつくことは、大体誰かしら思いついたことのあるものである、これは確かだとおもいます。先日あるセミナーで、10秒で**の絵を描いてください。という課題を3問出されたときに、私が書いた絵は、その後に講師のPPTのものとほぼ一緒でした。80~90%がそう書くそうです。”へぇ~ふしぎ”とおもいながらも、人間の創造性は意外と似通っている部分があるのも確かだ、と認識しました。
一方で優れたアイデアは存在します。なるほど、、、とうなるような優れたアイデア、利益モデルを生み出すアイデア、に時折目にかかります。人間の創造性は多様だし、無限だ、とおもいます。さまざまなデザインも。
さて、創造性は多様?似通っている?ということがこの辺まで来てわかった気がします。アイデアは出始めは、みんなが考え付く「アイデアメーション」つまり、アイデアというよりはインフォメーションなのだ、と。確かにマンダラートをワークショップで書いてみると一枚目の単語は結構似ていることもあります。異なるチームの初期のプランが似ていることもあります。でも次第に時間をかけていくと、独創的なもの、簡単には思いつかないものへ昇華していきます。つまり、ところてんのように出てくるアイデアは最初は、アイデアというよりはインフォメーション。後ろのほうを搾り出すほど、アイデアフルになる。ということのようです。
先日のSN変換表のワークショップでも同じことがありました。妥当性の高い見込み用途が出尽くすと次第にアイデアフルに。どうやらたくさん出すといいものも出る、というのは、時間とともに、単位時間当たりのよいアイデアアイデアの含有率は上がってゆくのだとおもわれます。(そして、独創的アイデアもで尽くすと、単位時間当たりのアイデアの総量もへって行くのだとおもいます。このときに、またアイデアメーションを行うことが重要なのかもしれません。リーダのタイミング感であったり、創造工学におけるエクスカーションであったり。)