予測するのではなく創る。
2月19日。今日は、新エネ関係のイベントに大手電機と大手自動車の開発のキーマンがいらして、講演やグループ討議に参加されました。個別のお話は差し控えたいと思いますが、印象に残ったのは、彼らの未来の考え方でした。予測、はもちろんするんですが、それをやるという「意思」が、計画のマイルストーンを位置づけていること。
「**(ある資源)が枯渇するのはいつだろう、そのときまでに大丈夫なように何とかしよう。」ではなく「**が○○年に枯渇しても大丈夫なように、割り戻して、この計画で進めよう」。そんな言い方をするのだ、と力強くおっしゃっていました。
私は、未来の社会を考えるのが好きです。TRIZの9画面法などの、近い将来の製品を企画する手法をまなんでからは、システマティックに未来を予測することが増えました。
たしかドラッカーの言葉だったとおもいます。「未来を予測する、もっとも確実な方法は、自分でそれを実現することだ」と。
未来を予想する力。未来を企画し実現していく力。どちらも大切なんだと思います。社会は人間60億人で構成されています。たかだか60億人、長く生きても100年。その意味では、未来の予測はあくまで予測。明日から60億人の何割という人が違うことをやりはじめれば、予測は簡単に外れます。世界が100人の村だったら、という話がありますが、世界が100人なら未来を予測するよりも、企画して実現するための取り組みをしたほうが、はるかにあたる精度が高いでしょう。高々60億人で構成される社会ならば、企画して実現させるほうが、手っ取り早く未来を予想できるのかもしれませんね。実現性の議論はさておき、そういう「気概、心意気」は大事でしょう。