新技術の創造はいつまで可能か。
新技術を創造する、ということがいったいいつまで出来るのか。このことを時々、考える機会があります。少し述べてみたいと思います。
まず、思い出すのは以前読んだ本。「もはや新しい主要な特許が生まれることはない」といって特許庁の職をさった要職の方がいる、というアメリカの話。(これは、実は事実ではないそうですが。)これを聞いてから、ずっと考えているのは、「(このいつは正しくないとしても)ある時期まで行くと、特許はいつか全て埋め尽くされて、もうとることが出来なくなるのだろうか?」ということ、です。
私の今の結論としては、「どんなに時代が進んでも特許をとる、つまり、新技術が創造されることは、続くだろう」というものです。
根拠の材料としたいものが2つ。(互いに関係しています。)
(1)ITのなかった時代には、絵空事であったいろんなアイデアがマテリアルや電子処理をともなった実態として特許の範疇で扱われています。いま私たちの中にない技術の土台が、将来にもきっと登場し、そこには新技術が広がるだろうこと。
(2)人間の欲望は決して尽きることはない。これが仮に事実だ、とします。(仮説、です。)
すると、いつの時代でも人間は、現状とあるべき姿・求める状態とのギャップを感じます。そしてそのギャップを埋めるためのことを考えます。技術的思想を伴ったものは特許としてその解決の手段として登場します。それにより、ギャップは埋まっていきます。その現状においても、人の欲望は、充足しない。さらに高度な何かを求めます。そのときのギャップ(理想―現状)を埋める解決手段は、・・・。といった形で同様の展開に。
(メモ:人間は動かなくて良いように技術開発の積み重ねで高度な自動化を図った。現代の人間は運動不足になった。フィットネスや電気的な筋肉刺激のダイエットツールを作った。この先は?)
人間は最後は「命が尽きるとき」がきます。60億人も多様な人間がいても、全く最後は同じ状態「一個体の生命の終わり」になるのも、不思議な気がしますが、とにかく全ての人間に珍しく共通する現象です。人間に欲望がある限り、寿命を持った生命であるからには、常に理想と現実の間にギャップはのこるだろう、この点については、証明は出来ませんが、後100年くらいはたぶん事実であると思います。(とはいえ、高度な医療が、その生命の終着点を多様にする日が来ないとも限りませんね。)
以上、整理すると、以下になります。
1)人間は常に欲望がある。
2)理想と現実のギャップの解決の中には、必ず技術的なものがある。
と仮定するならば、
”いつの時代でも、新技術の創造は起こり続ける。”というのが、首記の問いに対する答えになるのではないでしょうか。(※1,2の仮定は、必ずしも自明ではありませんが。)
とはいえ、もっと端的にいう言い方もありますね。
『熟成すると、人の興味・市場は移る』
33年間の経験則、ではありますが。