図解と文字列は、写真と音楽のようなもの。
いま、ある分野の新しい知識を仕入れようとしています。深くじっくりではなく、まず全体をざっくりと把握したいと考えて、書店に行きました。いつもはアマゾンで買っていますが、買いたい本が決まっていないときにはリアルの書店はいいですね。
そのテーマについて図解された本が意外と在庫が少なくて、文字オンリーの書物がいくつか。手にとっても見たのですが古い体裁と字体で、これは時間をかけないとちと苦しそう。
結局他の用事もあって、本をかわずじまいでしたが、帰る道すがら、ふとこんなことを思いました。
「確かに文字のほうが、深く細かくしって、そのテーマをよく知ることが出来る。しかし、一文字一文字をおって進めていく作業というのは、全体像が出来るのはほぼ全体をなぞっていってからだ。あまりに速度を上げると、大事なことが何なのか、わからなかったり、大事なことの関係性を誤解して捉えることもある。」
その意味では、文字オンリーの本は、音楽の調べに似ている。その時点その時点で音の高低が流れ出して、全体として意味を感じ取る。最後のほうまで聞いて初めて、この調べ全体は物悲しいくも力強い音楽だ、と分かるわけです。
「一方、図解のほうは、本質的要素がなにか、話の骨子は何か、ということが、どこん、どこん、とまず示されている。深くその背景を繊細に感じ取ったり読み込んでいくことは出来ないけれど、話の概要やポイントだけは分かる。人目見た瞬間に、あ、これは、○○の話か。ふんふん、こういう要素があって、そういうことを意味することか。と分かる。補足説明や細かいことは読まなくても、ほんの短時間に全体俯瞰が出来る。」
その意味では、図解の本は、写真に似ている。写っている大きな構成を見れは、ああ、夕暮れの山、手前の湖面に山が写り、力強い中に繊細さがある印象だ。と感じるわけです。もっと子会ところを見ようと思えば、近寄ってみたり、一部を拡げてみたり出来ます。まず全体、それから部分。という認知プロセスです。
時間軸のある地点からある地点への時間幅を持った中で受け止める文字列(旋律)。時間軸としてはほとんど一点(一瞬)で受け止める図解(写真)。両方が補い合うものであるもの確かです。
見せたい見せ方、見たいと思っている人にマッチした見せ方、これを統合にかんがみて、使い分けるべきなんでしょうね。
私のこのサイト、たぶん、旋律、なんだろうと思います。もっと、写真のような「一瞬で全体俯瞰が出来る」ことが必要かもしれません。ふと、そんなことを思いました。