ぶれない、ということ。
8月19日。ぶれない、ということについて考えていました。
「覚悟」「生き方」「目的」「達成目標」そして「使命」
そんなことが、関係するように思います。
その前に、どうして「ぶれない」べきなのか。考えてみたい。
ぶれない生き方をしたい。
なぜ?⇒ぶれる生き方がいやだから。
なぜ?⇒ぶれる生き方は、時間軸上に一定の時間幅をとれば、必ず「言っていることが違う」「無節操」「不義理」ということを信頼しあいたい人に与えてしまう。さらには、自分が自分自身にがっかりする。もっとも自分ががっかりする。
自分をがっかりさせたくないのは、なぜ?⇒自分に自信を持って生きて生きたいかた。そのためには、いつの時点の自分のことも、自分が信じることが出来き、それによって、自分のプリンシプルを、プリンシプル足らしめ、ぐっと進むときには、思い切って歩を進める、そういう自分で、常に、いたい。
つまり、私の思考と気質のパターンである「熟慮断行」である。熟慮する。そして、機がくれば、まよわず、バシリと踏み込み、打ち込む。そのためには、いつでも、自分の身を踏み出せる状態でいないといけない。そして、ひとたび打ち出せば、そのときの方向が、振り下ろす刃先の位置をきめる。方向性があちこちずれていては、振り下ろす剣も心もとない。いわば、太刀筋に覚悟が無い。そういう太刀筋では、たとえば、それが正しい地点に振り落とされていたとしても、太刀は防がれる。多少地点が違っても、迷い無く打ち込める剣。
熟慮断行でいるには、常に準備のある状態ですごし、機に接すれば、迷い無く、覚悟のある太刀を打ち出す、そのためには、ぶれない生き方を続けたい。
つまり私自身の思考様式が、そうさせる、というわけですね。
生き方は変えない。しかし、やり方は変えてもよい。内外にある要素はおよそ数年で変化します。(30代前半だと3年間くらいがその一つのユニットです。)
なので、変わり行く内外の要因にあわせて、目的地は変わらないでいるために、攻め方や構え方を常に変えていく必要があります。
ぶれない生き方をするためには、自分の「使命」をよりどころにする。「使命」は、目指す北極製の方向を示した「目的」と、数字やリソース的要素の強い「達成目標」と、心のありようである「覚悟」の3つをあわせたものと思います。
ぶれない「生き方」←「使命」←「目的」+「達成目標」+「覚悟」
まず、一番右端にある、「覚悟」これがなければ。今日も明日も、覚悟を持って生きていきたい、そう思います。