遊びを作り出すコドモのココロ
子供と過ごす週末は、発見に満ちています。
かつて自分が子供だった大人たちには、子供と遊ぶことで、大切なきづきを発見するようです。不思議なもので、しっていはずのことをも、外に出て(子供時代が終わって)初めて理解することがあります。
ヘリウムガスの風船をもらいました。数日はぷかぷか浮かべています。そのうちいじりまわして新しい使い方を創ります。
風船が接地するかどうかの瀬戸際くらいののおもりをつけます。(実際は紐に洗濯ばさみ)
すると、風船が息で吹いてやると、ちょこんちょこんと、小さく歩きます。(正しく表現すると、洗濯ばさみが接地したり、浮き上がって流れたりします。)
そのうち、うちわを持ってきます。そしてパタパタとあおぐ。それで、強い風・弱い風をおくると、歩き方も変わります。
この辺になってくると、「境界線と陣地」をつくり、二手に分かれて競争になります。どっちが風船を相手の陣地へ歩かせることができるか、勝負です。
ここに、大人の発見があります。小さい人々はゲーム性を遊びの中から気がついて具現化したのです。
風になびいて、あるくような振る舞いを風船がしたこと。(ストレンジな現象を見つけた)。
歩みは完全にはコントロールできないこと。(偶然性を含んだ制御性を感じ取った)。
相手と向かい合ってどちらがうまく歩かせるかに取り組んだこと。(すこし難しい課題をみつけたこと、相手との競争がなりたつことを感じ取ったこと)。
補足すると、おもりを紐のどこにつけるかで、風船が風になびく挙動の様子が大きく変わります。今回の風船の場合、ちょうど50センチくらいがもっとも面白い動きをしました。
この、遊び作りのプロセスは、大人と違いますね。大人の場合は仮説検証型の創作を中心にするのにたいして、子供の場合は、探索型の創作を中心にします。つまり「こういうものだったら面白いはずだ。じゃあ、面白さを創りこんでみよう」がおとな。こどもは「いじっていったら面白いものを発見した。それ、遊びにしよう」と。
この話には結論はありません。ふと感じたのですが、「現場主義」と「コドモノココロ」には関係するものがある気がします。仮説検証型では見えなかったものがある、と。