2007年最大の出会い。中村俊郎さん(中村ブレイス訪問記1)
2007年には、私がずっとお会いしたかった方にお会いできました。島根の中村ブレイス(義肢装具メーカ)の創業社長、中村俊郎さんです。
中村ブレイスのことを知ったのは、かつて、私が社会人大学院生をしていたときでした。経営学の文献で同社のこと読みました。経営戦略のその本の中に、同社について書かれたページがありました。それをみて私は、はっとします。当時の私のメモにはこうあります。
非常に感銘を受けた一文。
2005年8月14日
ベンチャーを対象にした研究をしている中で、起業家のマインドに、はっとすることがある。研究対象として読んでいる文献なのだが、人生感・事業感に、感銘をうけた。遅い昼飯を食べながら読んでいたその文章に、しばし時間を忘れて感じ入る。
『ベンチャー企業の成果は、事業の成長性や収益性、株式公開の有無などだけで評価されるものではない。社会の中でさまざまな人から、その企業あるいは事業がないと困ると、その存在が望まれ歓迎されるような事業を創造したときに、その起業家の業績は高く評価される。中村ブレイスはそのような社会的に高い評価を受けている企業である。』
角田隆太郎『ベンチャー企業経営論』の第2章「起業家とベンチャー企業」54ページ。
そうかもしれない。評価の幅にはもっと深みが必要かもしれない。
そして、そのときのことをその後もずっと考えています。
非常に感銘を受けた一文。
2006年2月26日
ベンチャーを対象にした研究をしている中で、起業家のマインドに、はっとすることがあります。以下の文献は、昨年の夏に、研究対象として読んだものなのですが、人生感・事業感に、感銘をうけました。当時、食堂で遅い昼飯を食べながらその文章に、しばし時間を忘れて感じ入っていたのを覚えています。
『ベンチャー企業の成果は、事業の成長性や収益性、株式公開の有無などだけで評価されるものではない。社会の中でさまざまな人から、その企業あるいは事業がないと困ると、その存在が望まれ歓迎されるような事業を創造したときに、その起業家の業績は高く評価される。中村ブレイスはそのような社会的に高い評価を受けている企業である。』
角田隆太郎『ベンチャー企業経営論』の第2章「起業家とベンチャー企業」54ページ。
(以上、当時のブログ内容を元に、改訂し掲載しました。)
(以下は、今回新たに書き加えたものです。)
この文献によると「中村ブレイス」社は、義手義足の企業で、島根県の石見銀山にあります。単になくなった身体の一部を機能的に補うという視点だけではなく、人工乳房などのメディカルアート、といった分野を展開しています。文献によると、世界中からこの島根の石見銀山まで、お客さんが来て、依頼されるそうです。決して、短期間で大規模な事業収益をあげる事業ではありませんが、ある分野では世界中から尊敬される企業です。
今思うと「ハイテクスタートアップスばかりがベンチャーではない。」と、このあたりの事例に触れるようになってから、ベンチャービジネスに対する私の中の価値観の幅が広がり始めたのだと思います。ライフワークとして、今後もベンチャービジネスを研究してゆきたいと思います。
そして去年の夏に、ようやく詳しい文献が手に入ります。
『よみがえるおっぱい 義肢装具士・中村俊郎の挑戦』
2007年8月14日
アマゾンでは新品が手に入らない本をようやくセブンアンドワイで入手しました。千葉望さんの書かれた『よみがえるおっぱい 義肢装具士・中村俊郎の挑戦』という本です。2000年に海拓社から出ています。
本を開いて表紙の裏を見るとこう一言。身体の欠損を補うことによって、欠損した心まで補いたい。この本は、きわめて真摯に会社を経営し、社会に本当に喜ばれるようなものをつくる企業「中村ブレイス」を取材し経営者の意志を十分につむぎだした、とてもよい本です。
(中略)
中に出てくる写真が「メディカルアート」というレベルの本当に良く出来た義手でした。鼻も指も乳房もあります。これが本当につくりものなのか、とおもうくらい良く出来ています。本人の皮膚間をよく調べて、肌の色、質感を再現しています。指にはえる毛も一本一本植えていくそうです。先天的にあるいは後天的に身体の一部を失うことがどういうことなのか、そしてそれを補うとはどういうことを提供するものなのか、深く深く、感じ入りながら読みました。思わず、ため息が出ます。周りの人に「ほら、これみてよ」と私が普段しないような行動も。それほど、この本には、中村ブレイスの仕事と、社長である中村俊郎氏の「意志・思想」というべきものが詰まっています。
(中略)
この会社は、使う側にして見れば「この会社があってくれて、本当によかった!」という会社でしょう。ある日、事故や病気で腕や顔の一部が欠損したら、相当な心身の負担です。仮に、生命に支障が無いほど回復しても、「社会性を生きる人間」という動物としては・・・。
私は思うのですが、「この会社があって、本当によかった」
そういってくれる人が、世界中にいる。そんな事業を創り出すことは、起業家の重要な役割の一つではないか、と強く思います。
(中略)
一人一品の繊細な対応というのは、往々にしてコスト高であり、収益性の意味では、相当な知恵と情熱が必要とされます。
(中略)
私は中村ブレイスのような、(ある種の業界では)世界中から尊敬される企業、をこの仙台から次々と輩出されるような地域にしたい、20年かけてそういう面白い土地にしたいと、本気で思っています。覚悟、気概、人への愛情、情熱、創造性。それが全面に出てばかりではうまくないかもしれませんが、そういうものを内に秘め、これまでも、これからも、進んでいきたい。
以上、過去のメモを引用しました。三年間、ずっと中村氏にお会いできる機会が無いか探していたのですが、なかなかありませんでした。著名な方なので講演などもされていたのですが、ちょうどタイミングのあうときがありませんでした。
そこで、意を決して手紙を書きます。
世界中から尊敬される企業を次々と輩出する地域に仙台をしたいと考えて活動をしていること。
その理想のモデル企業は、中村ブレイスであること。
お会いして直接お話をお伺いしたい、ということ。
私は普段、こうした手紙を書くことはほとんどありません。本当にお会いしたいと思ったときだけです。なので、ビジネス文書ではうまく熱意をつたえられそうにない、とおもい口語体で本当の思いを手紙で書きました。
その結果、非常に気さくに快くお返事をいただきました。ご多忙の中でも日程を取っていただけて、数ヵ月後、訪問する運びとなりました。
中村ブレイスは島根の石見銀山にあります。仙台から、西日本へ所用と兼ねて移動したので、静岡や京都を経由して、電車でゆきました。大きな荷物をかかえて、訪問の前夜、最寄り駅(大田市駅)についたのは夜10時を過ぎていました。駅の近くの古い旅館は空調設備が良くないようで、匂いが鼻につきますがそれもひなびた味わい。この日は道中の長旅でかなり疲れていましたが、翌日のことを思うとなかなか寝付けませんでした。
翌朝、駅前からタクシーで20分ほど、山の中へ移動します。そこに”大森”とよばれるまちがあります。石見銀山のふもとの町で人口数百人、歴史あるふるい街並みののんびりしたまちです。そのまちが中ほどに中村ブレイスはあります。
― 続く ―