わけ合えばあまる
「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる 」相田みつを氏の言葉です。http://www.mitsuo.co.jp/museum/profile/collection.html

近くの大型ショッピングセンターの屋上駐車場のエレベーターホール脇に階段があります。その上にこの額が飾ってありました。いいですね。地方のSCでは、屋上の駐車場は、混雑したときにやむおえずとめる面倒な駐車場という位置づけですが、そこに止めた人だけがそこに掲げられているこの言葉を目にすることが出来るわけです。なにげないエレベーター待ちの間に、この言葉に何を感じていくか、人それぞれのようです。奥ゆかしい日本人の伝統文化がすがすがしく目に浮かびました。
なにげない額の掲示ですが、SCは小さな投資で大きなプレゼントを、しかもたくさんのひとがもらっても減ることの無いプレゼントをしている点でも非常にすばらしいと思いました。
また、今ふと思ったのですが、官僚的な企業と、志しを元に躍動感あふれる躍進を続ける企業の違いの一つをこの言葉が逆説的に示しているかもしれません。
面倒な仕事が自分たちの部署に来たというシーンを想像してみます。躍動感あふれる企業では、仕事を「私はこれとこれが出来る。よかったら、あれもやっておきます。」といい意味でうばい合います。『うばい合えば足らぬ』わけです。一方で、官僚的な組織では、おのおのが「ここまでが私の仕事。その先は私の仕事ではない。」といえば、個々の効率がいいかもしれませんが、『わけ合えばあまる』わけです。
個々の部分最適と、全体最適は必ずしも一致しません。これまでは長らく拡大再生産の基調の上に長い年月を経て、個別の最適化と全体最適がすり合わせされて調和していました。しかし変化の早い環境では、個別の最適化を大前提にしていては、全体では生じてしまうロスを解消しきれません。個別の最適化を全体最適化の状態になるまですり合わせ出来るころには、環境がまた別の状態になっていますから。
変化の早い環境下では、企業全体としての力を最適化するときには、自分の仕事範囲を柔軟に捕らえてホットなフットワークで動く、そういう組織であることが躍動感ある健全な成長を果たしてゆくための一つの条件かもしれない。ふとそんなことを、相田みつを氏の言葉に思いました。