記憶の鮮度、という視点
人は覚えたことが時間とともに減少します。
いい講演をきいて非常に感心し、あすから実践しよう、
と考えた人でも、半日がすぎ、一日が過ぎ、一週間が
たつ頃には、何がそんなによかったのか、”そう思った”
ことだけが思い出される状態になります。
一方で、時間とともに、減少しない記憶もあります。
道で会った友人。彼がのっていた車がそばにあって
大きな青い車だった。
そういうことは一週間たっても、「彼の車は青い」と
いう記憶に残ります。
人間の記憶に対する傾向として次のようなものがある、
と感じます。
・概念系(非物質)の記憶はとろけやすい。
その情報はどんどん抽象化されていく。
1時間の講演も一言化されていきます。「人を活かして経営しよう」など。
・実体系(物質)の記憶は残りやすい。
情報ははじめから受け取り手の見た通りの情報しか
入ってこないが、一方で、それは長く残る。
自分のフィルターで概念化したものは、自分の言葉として
再現が可能。
こうなると、相手に概念的なことを100お話しするよりも
実物を100お見せしたほうが、はるかに多くのものが
相手の中に残ります。
伝えたいと思ったこと(概念)をどれほど伝えても
受け手のフィルターはそれをさらに濾して抽象化しますので。
言葉で伝達される概念系のものごとは、1分間に伝えられるのは
しゃべり手・聞き手の両方の能力がどれほど高くても、
限界があります。
人間は、1分間に60ページ分の情報を口でしゃべることはできませんし、
聞き手もその速度では、理解できません。
実体系のものは、たとえば1分間でその車を見せてあげれば、
非常に多くの情報が相手に入ります。
つややかなとそうだな、革張りのシートがすこし高そうだな、
そういった自分のフィルターを通過した情報が1分間分。
実体がなければ、その車のカタログ写真を60枚、パラパラ漫画のように
一秒一枚でみていけば、かなりの多さの情報が残ります。
実体系VS概念系
モノを説明するときには、できだけ概念の積み上げはやめ、実体系のビジョンが伝わる・頭の中に再現される、話を目指すと、「わかりやすい」と感じてもらえるようです。概念だけの話で相当する実物がない、場合も、それを何らかのアナロジーで、実態のあるものに置き直して話を進める、すると、それが残る話になります。思い出したい概念系の話は、そのアナロジーを思い出すことで再現できやすくなります。
記憶の鮮度がすぐに落ちるのが「概念系」
記憶の鮮度が長く保てるのが「実体系」
概念系を届けようとしたら、それは短い時間で、情報が抽象化して一言化してしまうと、肝に銘じたいと思います。
・
・
ところで、「概念系」なのに長く残るものはないでしょうか。
また、「実体系」なのに長く残らないものはないでしょうか。
![]()
「概念系」なのに長く残るものとしては
[ブランド][ロゴ][音楽]
[デザイン][キャッチフレーズ][トレードマーク][シンボル]
などがあると思います。
非常に聞き手のフィルターを通しても、キャッチフレーズは
それ以下に情報の抽象化が起こらず、
トレードマークは、見た人に多くの「実体系」に近いものを
あたえます。
「このトンガリはつよそうだな。全体として丸みがあるな」
という印象です。
これはデザインの力がベースにあります。
「実体系」なのに長く残らないものとしては
[短期で消費する物][個人の印刷物]
[見るたびに異なるもの]
などがあると思います。
たとえばWEBサイト、特にブログのような流動的なもの、
それから、鮮度の短い食品、特にお弁当のようなその時期限りの形状のもの、
先の車にしてもその人が毎日違う車に乗ってきたら
記憶の中で「彼の車は・・・」と情報が少なくなるでしょう。
相手に伝えたいことを、「できるだけ実体系に近づける」工夫を
したいと思います。
プレゼンであれば、実物を持ってくる。
報告であれば、写真を見せる。
音声情報だけであれば、
キャッチコピーや、
相手の頭の中に像の描ける”単純で実体を伴った言葉”「身体コトバ」
を用いるようにしたいと思っています。
先日、vision windowということを書きましたが、そのことと深い関係があります。
