どの国の言葉でもない言語だけれど内容がわかる不思議な本
先日、友人から借りた『The Arrival(ジ アライバル)』という本を紹介します。
(その前に、私が人から本を借りるというのは割と珍しいことなんです。本というのは、折り曲げたり、気持ちをのせていくもので、上着やカバンと同じような感じがしていて、人のものを借りて汚してしまわないかと不安になってうまく本が読めないので、基本的にはその場で見せてもらい、借りてしまうことはないのです。本に対して、そんな変なこだわりがある性分ですが、一方で本を裁断してスキャンしてしまうという自分の性格は「読書愛好家」ともまた違うのだろうと思います。こんな話はさておき、本題です。)
ネタバレしない程度に写真を掲載します。この本が読みたい方は、以下はご覧にならないでください。すこし内容がわかってしまいますので。
古ぼけた本の様なデザインの新しい本です。写真では本の背景に、京風呂敷が敷いてあります。同系色でわかりにくくなってしまいました。ちょっと写真の撮り方を失敗しました。
この本、この表紙ぐらいしか、読める文字がありません。ジ アライバル。ザ・到着、とな?とシンプルなタイトルの余韻を引き継ぎつつめくります。
なにか、大事なものを大切にしまっている手元。苦悩の顔つきで手を当てる男女。若くない、くたびれた感じの二人の関係は、たぶん、新鮮な夫婦ではなく、長く連れ添い時間を共にし醸成された関係を思わせます。
この主人公がこの後、長い長い時間を経て見知らぬ言葉の異国の文化の国につきます。
言葉が全く通じないこの男の不安は、読者も一緒にはらはらとします。異国で一人。言葉も通じない。ポスター張りの仕事をみつけて、やらせてもらうものの、全く読めない不思議な文字なので、逆さに張ってしまい、沢山張った後になって、雇い主に「これは逆さだ!」と(たぶん)言われてしまう始末。この異国の文字は多分どの言語の文字でもなく、主人公のセリフも説明もない本なので、どの言語を使う人でも同じだけの理解がなされる内容になっています。その異国の見知らぬ文字だけ、という構成が、読み手にも「まったく何も理解できる情報がない街で暮らしはじめる主人公」の気持ちを引き立てます。
引き裂かれた家族、早く稼ぎたいものの、見知らぬ食べ物で食べ方さえ迷い、そんな中で少しずつ知人ができていきます。
しかしどれほど話が進んでも、この世界に理解できる「文字(読者が読める文字)」は現れず、表情と雲や木の盛衰で時間の流れが表現されていて、読者はずっとサスペンド(宙ぶらりん)の状態に置かれます。
はやく、ほっとしたい、ほっとしたい、という気持ちで、その空間を支配するページをじっくり眺め読み取りつつも、次々とページをめくってしまいます。
最終的にどうなるのか。それは、本を読んでのお楽しみにしないと、作者さんに対して不義理でありますし、読書のたしなみにも外れますので書かないでおきます。私は最後の方のページ(とてもぼかした上の写真)を、ずいぶん長いこと眺めていました。何一つ文字情報のないそのページを、繰り返し繰り返し読んでいました。行間を読む、という言葉でいうならば、行間を読むことしかない、すごく感性的な本です。その最後の行間には、私にはとても饒舌に語られているように見えて、もうそのページを見ながら、したであろう会話、そこにいる当事者の顔、周囲のそれを見ている通りすがりの人、素知らぬ顔で行きすぎる動物、そんなものが頭の中でしばらく再生されていました。絵がない「小説」には、その世界を想像するイマジネーションの力でしか人々を生き生きと動かすことはできませんが、この本も似ていて、文字は一切なく絵しかないのですが、その世界を生き生きと動かすイマジネーションが非常に、ぐいいっと強制的に始動させれてしまう、そんな素敵な本でした。
ここに、しめの一文を書こうとして、しばらく考えましたが、やめました。この本は、人により相性があるでしょうが、気持ちの浄化をしたくて、ウイスキーをきのままあおるような夜には、ぱらりぱらり、とめくりたい本、という感じのことぐらいしか、言えません。
出典:
『The Arrival』 http://amzn.to/gVA5eW